私と山月記

山月記を読まれたことはありますか?

佐野幹氏の著書「山月記はなぜ国民教材となったのか」によると、実に60年も前から高校生の教科書に掲載され続けているそうです。多くの方が多感な時期にこの文学に触れたことかと思います。

自分は茫然とした そうして懼れた

私は大人になってこの山月記を読み返してみて、中島敦にぶん殴られたような気持ちになりました。2004年に東京大学大学院を卒業してからというもの、自分の才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが自分の全てであったことに気がついたのです。

己の毛皮の濡れたのは

そして私は中小企業診断士の道に進む友人と切磋琢磨にする過程の中で、自分の中に潜む「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を少なからず減らすことができました。このHPの屋号を「山月記経営研究所」としたのは、失敗を恐れずに何かに挑戦する気持ちを忘れないためです。

この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ

もし何か一歩を踏み出せないでいる方がいれば、山月記を読んで自分を見つめ直すことをお勧めしたいです。

青空文庫 山月記 全文


経営者としての李徴

さてここでは中小企業診断士らしく、山月記の李徴を一人の個人事業主として分析してみましょう。

かつての李徴は、今で言えば超優秀な受験生で、難易度3000倍!ともいわれる科挙の試験に若くして合格しました。
中小企業診断士が25倍(4%)、東京大学が3倍(33%)の倍率なので、比較の仕様がないほど難易度が高い試験のようですね。

そんな優秀な李徴も官僚が嫌になって、詩歌で独立することになります。きっと現代の「俺、音楽で食っていくぜ!」みたいなノリですよね。自分も上場企業の研究職を2年で辞して独立したので分かります。

たぶん自分の居場所はココじゃないと思ったんですよ。俺の一生は組織の歯車で終わらないぞと、俺は歴史に名を残す男なんだぞと、現代の意識高い系以上に高い意識だったんだと思います。

しかし詩歌としての名前は全然売れず、生活はどんどん苦しくなる。その気持も分かります!自分も起業してからお金が出ていくばかりで、生活が苦しくなりました。

経営者のはずなのに、日中は自販機補充、夜はスーパーでアルバイトの毎日。いつ成功するのか分からない、長く暗いトンネルの中を一人で歩くような陰鬱とした感じ。

【執筆中】李徴は虎になった理由を短時間で7つ挙げている。経営者は仮説と検証が大切。李徴は仮説しか挙げていないので、経営者としてはイマイチ。失敗した原因と向き合って、真摯に検証していくことが重要。